活動一覧

湯浅町

元勤務先の保養所兼研修所(有田研修所)があった縁で度々当地を訪ねています。熊野古道の宿場町だった湯浅は細く入り組んだ道に古い町屋や商家が並び、重厚な瓦ぶきの屋根と格子や虫籠窓、白壁の土蔵…湯浅町の重要伝統的建造物群保存地区でゆったりと散策も良いです。醤油の資料館もあり各地から製造工程の見学客がバスで来られていました(電話で予約をすれば、醤油資料館・職人蔵の見学が可能)JR湯浅駅から歩いても近いです。毎度お土産に醤油・味噌を買って帰ります。
醤油資料館HP https://www.kadocho.co.jp/museum.html

お祝い【角長】さんの建物が国の重要文化財に指定…建物を保存することは大変

天保12年(1841年)創業の老舗醤油醸造蔵。
醤油発祥の地、湯浅で鎌倉時代より、750有余年にわたって受け継がれてきた伝統の醸造法を現在に伝える湯浅で唯一の手づくり醤油の醸造蔵です。
幕末から明治にかけて建てられたしょうゆ蔵など、11棟の建物が国の重要文化財に指定されることなる。
「角長」は現在もしょうゆの生産を続けていて、▼こうじをつけた材料に塩水を混ぜて仕込む仕込蔵や、▼しょうゆを絞り出し、火入れを行うしょうゆ蔵など、伝統的な生産過程が分かる一連の施設がそのまま残っていることなどが評価。

  • 稲村の火⁽広川町〉
    濱口梧陵
    (はまぐち ごりょう)
  • 1820年(文政3年)、「稲むらの火」で知られる濱ロ梧陵は、紀州広村(現在の広川町)で生まれました。 安政の大地震津波時、稲むらに火を放ち、この火を目印に村人を誘導して安全な場所に避難をさせ、多くの村人を救った彼の功績は、現代に通じる津波防災の象徴として広く語り継がれています。
    梧陵の偉業と精神、教訓を学び受け継いでゆくため、2007年(平成19年)4月、濱ロ梧陵記念館と津波防災教育センターからなる「稲むらの火の館」が誕生しました。来たるべき時に備え、より多くの津波の知識を身につけてください。あなたの心にも、消えることのない「稲むらの火」を灯すために。
  • 湯浅しらすで有名なお店:「前福」
    是非いきたいと思います。
2020年04月03日

首里城

40数年前初めて沖縄に訪問したことがありますが 復元前で見学をしてません。〈首里城復元竣工(1989年)ー昨年復元が完了〉 今回の旅行では、是非首里城見学をと思っていましたが当日は台風接近で大荒れ ビシャ濡れになりながらも首里城:守礼門に辿り着きました。 訪れる人を歓迎の意味を込めた「歓会門」等の門をくぐり抜けて首里城正殿へ。まさしく「琉球王国の栄華」の一言。 海外の観光客を含めて年間約280万の人が訪れのが分かります。

*沖縄県人のシンボル(心の支え)である首里城が焼失!、見学の1週間後です。世界的にも大きな損失です。
「一刻も早く首里城の再建」を願うのみです。

雨の首里城
2020年04月08日

グランド・ゴルフの発祥地/鳥取県湯梨浜町

人口約3500人の小さな村(旧泊村)が、生涯スポーツ〈グランド・ゴルフ〉の世界的な聖地。
2014年から毎年、国際大会を開き海外から選手が来町されるとの事、町には専用の3コースがある「潮風の丘とまり」では年間3万5000人が
プレーし、町内の公園など各地でも地域の大会があります(以前大阪府吹田市のグランドで多くの人が大阪予選大会で頑張っておられたのを拝見しました)国の補助事業として資金的な支援、大学の専門的な助言があり現代でも発祥地が生まれる例です
町は大会を通じ他県や外国の方とも交流が生まれ、町の大きな財産となっています。。


2020年08月03日

御堂筋界隈ぶら歩き

御堂筋は大阪市の中心部を南北に縦断する大阪市のメインストリート(全長4027ⅿ)。両側にイチョウの木が約970本植えられ11月中旬から12月末全区間に イルミネーションとして木々にLED電球が彩られ 、ビルの前にはクリスマス前に「インフィオラータ 」の花が飾られ、ぶら歩きには年中最適です。

  • *お薦め;大阪メトロ全線当日乗り放題チケットを(平日800円、土日600円)乗車券販売機購入可
  •  

    梅田駅近辺ぶら歩き

  • 新大阪駅から地下鉄で約6分、北の玄関口梅田駅(出口 )に到着、出口 から地上に出ると左にはJR大阪駅、右に阪急百貨店が見えます。梅田界隈には商業ビルが立ち並んでいて、地下街や低層階は飲食業・物販店・上層階は事務所フロアが多いです。この辺りは小生のお客さんが多くよく歩いて いますが、新ビルの地下街がいつの間にか出来て少し間をあけると浦島太郎です。梅田の地下街にあるホワイト梅田の通りの奥には以前は待ち合わせ場所として有名な噴水広場がありましたが、現在はスライドになっていて周りにはお洒落な食事・バー等華やかな気分になる場所になっています。JR大阪駅に北側には再開発で高層のビル群、よくお世話になる「ヨドバシカメラ」広場には花の展示場・冬には野外スケート場とかいろいろなも催し物があり、ぶら歩きは時間がアットいう間に過ぎますまずは 日本ではじめとの「歩く歩道」 、阪急電鉄(梅田駅)が少し北側に移動したために阪急百貨店と阪急電鉄間の利用者の利便に設置された。
淀屋橋近辺の発祥地

田駅から淀屋橋駅ぶら歩き

JR大阪駅の南側にある大阪駅前ビルを通り抜けて国道1号線を渡ると関西一の歓楽街(北新地)。『堂島ビールの発祥地』の碑もあります。そこから少し北側に歩いて堂島川沿いの高速道路の下に「一粒の光」という米粒をかたどったモニュメントがあります。 デリバテイブ『金融派生商品』発祥の地です。〈1730(享保15年)年、江戸幕府に公認された堂島米市場跡地に設置されていて堂島米市場は先物取引所の先駆け、堂島川(大江橋)を渡ると中之島です。中之島は堂島川、土佐堀川に挟まれた、東西約3㎞の中州でバラ園、レンガ造りの市中央公会堂等があり憩いと癒しのスポットです。土佐堀川(淀屋橋)を渡ると大阪メトロ地下鉄・京阪電鉄の「淀屋橋駅」、この辺りはビルが林立しているビジネス街です。土佐堀通りの右側(土佐堀川沿い)には江戸時代の豪商淀屋の屋敷跡、対面の三井住友銀行(本店)敷地内の芝生には
手形交換所の発祥地石碑があります。江戸時代の発祥地を偲ぶ場所です。土佐堀通りの左側には水上バス(淀屋橋港)の乗場があり、「アクアライナー」が就航:川から見上げる景色は住み慣れた大阪人でも感動を与えます。 *「淀屋橋」の橋は豪商の淀屋が米市の利便のため架橋。

お勧めのお店

お勧めの店
喫茶店(フロント) 笑てん〈居酒屋・食事〉夜は予約をお勧め ☎06‐6209-7273
淀屋橋駅(出口1番)を上ってすぐです お店の2階からは、土佐堀川を隔てて 中の島(大阪市役所等)のロケーション














地下鉄淀屋橋駅17番出口大阪市中央区伏見通り3丁目平松ビル地下
 
2021年01月21日

大正区のぶら歩き

大正区の区名は、木津川に架かる大正橋(たいしょうばし)から命名、地名は江戸時代に開発した苗字、出身地、万葉集の和歌からの由来。大正初期以来沖縄県からの移住者が多かった地域で,確かに沖縄料理や沖縄食材を扱う店が多く、「リトル沖縄」とも呼ばれています。大正区は河川や運河などの水路に囲まれた地域であるため少し歩るくと河川や運河に辿り着きます。三軒家にあった大阪紡績会社(現:東洋紡)がまた堀江など長堀沿いにあった材木市場が手狭になり、千島や小林に大きな貯木場が作られた。鶴町(現在の鶴町1丁目、船町渡船場付近)にはゼネラルモーターズの自動車工場(昭和2年~昭和16年)が、船町には中山製鋼所の製鉄所や日立造船などの造船所も作られそこの場所に碑があります。川沿いの工場には大きな船が着岸するため、大正区を取り囲む川には(区の北端の大正橋などを除いて)橋は掛けられず、現在でも渡船(大阪市が運航:無料)が対岸とを結んでいますが乗船客は自転車に乗って、徒歩は私だけでした。対岸まではあっという間に到着… トホホぶら歩き。(大阪市には全部で8箇所の公営渡船があるが、その内7箇所が大正区と関わりがある)昔は、淀川にも渡し船があり幼いころ船に乗って対岸に渡ったことがあります。そこは田畑が広がり大阪市内の家の密集地域との差に驚いたことを思い出します。大阪ドームも近くにあり、又川沿いにはお洒落なレストランもあり、是非子供さんと休日には「ぶら歩き」をお薦めします。
待合場所にあった時計はメトロで懐かしく一服の感でした。

 

 

 

近代紡績の発祥地

大正区三軒家東二丁目12 三軒家公園にモニュメント碑があります。市バス「三軒家」下車 南東約200m  幕末までの紡績は、農家の副業による家内工業にすぎなかった。そのため綿糸の輸入は総輸入額の40%近くを占めていた。そうしたなかで、明治15年、当地(三軒家村)で会社組織の紡績工場大阪紡績会社(現:東洋紡)が発足した。*大阪紡績会社の設立者:渋沢栄一、藤田伝三郎(東京・大阪の実業家、財界人)イギリスより日本で初めての蒸気式の紡績機を輸入し、大阪を日本一の紡績工業都市へと押し上げ「東洋のマンチェスター」とも呼ばれるきっかけを作った。明治19年には夜業用に民間でははじめて電灯を使用したが、3日間夜間工場を公開したところ「ひもランプ」と珍しがられ約5万人がおしかけたという。

*お勧めのお店
浪速銘菓【大六堂】
  • 浪速銘菓【大六堂】

創業大正六年(大六堂の由来)。 初代店主が、大阪大正の地にお店を興して80余年。 多年の経験と原料の厳選により、
独自の風味を勘案した和菓子を、丹精込めてお造りし 現在に至っております。 伝統の味と新しい創作菓子。 新旧おりまぜ、おやつ、お土産、ご 贈答に最適 ●ぽんぽん船渡し船に関連したネーミング
銘菓「ぽんぽん船」 地元、大正の川に、“ぽんぽん”と けむりと汽笛をあげて、今なお行き交う渡し船より 名付けられたそうです。《素朴なパッケージのデザインは、私の気に入りです》

大きな栗を丸ごと一粒包んだ栗饅頭当店の名物 。大きな栗を丸ごと一粒、ソフトな白あんとあっさりバター風味の生地で包み焼き上げてます。◎めがね橋からきている
「千本松」など気になる和菓子が沢山あります

 

2021年03月03日

四天王寺(日本最初の官寺)-天王寺七坂めぐり -茶臼山

 

『聖徳太子:日出づる処の天子』は今年(2021年)1400年の御遠忌。日本における仏教興隆の祖、宗派の垣根を越えて崇敬される聖徳太子は現代も広く国民に親しまれています。聖徳太子建立大寺の四天王寺は創建593年で敷地は東京ドームの約2.3倍もあり広々としています。

伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で日本では最も古い建築様式の一つで、とっても立派な由緒正しい格式高い寺院です。何年振りかでお盆の日に四天王寺さんへお参りしました。四天王寺さん近辺にはお洒落なお店が多数出来ていてビックリしました。最近は若い方も沢山お参りに来られるようです。広い境内にいると、参拝者にお太子さん〈親しみを込めて皆が呼びます)が「よく来たね」といつも見守って頂いている感じがし

ます。参拝後中心伽藍の西側、西門のさらに外側に立つのが石鳥居。
鎌倉時代の永仁2年(1294年)、四天王寺別当となった忍性(にんしょう)が石造の明神鳥居として
再建したもので、国の重要文化財。現存する最古の石鳥居となっています。
春秋の彼岸の中日(春分の日と秋分の日)には、四天王寺の石鳥居から西を見ると、
太陽がちょうど石鳥居の中心を通り、六甲山系と淡路島の中間の水平線に沈みます。

 

 

 

 

( 四天王寺の建築様式・歴史等詳細は公式リンクから)

 

石鳥居横で、大阪で有名な「釣鐘饅頭」を販売していて〈現在は後継者がいないため閉店〉私も学生時代にお盆の3日間アルバイトをした経験がありますが釣鐘饅頭が飛ぶように売れていました、お参りのあと”昔から釣鐘饅頭を買って帰るのです"と言っておられたお婆さんを思い出しました。
(釣鐘饅頭は現在寺院の休憩所・売店、西門からの参道に「総本家釣鐘饅屋」で販売)

石の鳥居 アクセス

◎聖徳太子(574~622年)
31代用明天皇の皇子(名は厩戸〈うまやと))おばの33代推古天皇の即位とともに皇太子に。
摂政として冠位12階603年、一七条憲法を604年制定する。

アンコール・ワット            (カンボジア)

  • ★約20年前に訪れたカンボジアのアンコール・ワット、春分の日と秋分の日には中央塔の真後ろから太陽が昇ります。昔の人の造形物に対する壮大なロマンです。早朝に訪れたアンコール・ワットを眺めていると朝靄がかかりより一層神秘的でした…着てよかった!感動です。(ぶら歩きは早朝・夕暮れがお薦めです〈但し海外では治安が悪い場所があり〉要注意)
  • 天王寺七坂めぐり

四天王寺は上町台地にあり、今日は地下鉄夕陽丘駅から「天王寺七坂」を寄り道して巡る事にしました。この辺りは豊臣秀吉が大阪城の南側を防護のためにお寺が集められた(由緒あるお寺が)寺町です。夕陽丘駅(5番出口)から近い場所には生國魂(イククニタマ)神社があり北門を出たところに真言坂(近辺に真言宗のお寺が多く)・源聖寺坂・口縄坂・愛染坂・清水坂・天神坂・逢坂が谷町筋と松屋町筋の間を南に下がってあり、いずれも石畳と石段でできた風情のある坂道です。一帯は市内中心部の喧騒から考えられない静けさです。坂の上から西側の崖下の夕陽を眺めるのもよし、坂の下から上を望むのもよし、谷崎潤一郎、司馬遼太郎の小説の舞台でもあり、新しい大阪の発見です(見て回るには約2~3時間要)

真言坂 愛染坂  
【天王寺七坂】
真言坂
清水坂
愛染坂
源聖寺坂
口縄坂
天神坂
逢坂



    清水坂
  • 茶臼山(茶臼山古墳)
天王寺公園から眺める
和気橋 茶臼山山頂




今日はどうしても気になっていた、天王寺駅への帰り道にあり南西に見える茶臼山に行きたいと思っていました。標高26mで、大阪五低山の一つとされている天王寺公園内にある小山の茶臼山、自然と河底池に囲まれた浮島のような山茶臼山ですが
歴史的には大坂冬の陣(西暦1641)では徳川家康の本陣となり、夏の陣では真田幸村の本陣として激戦地でもある有名な場所です。
茶臼山は、①延暦7年(788年)和気清麻呂が上町台地を東西に流れる堀川を掘り、周濠に水を引こうとした時に掘り返され土を積み上げた名残が今の茶臼山になったとの説と、
②大阪市内で最大級の前方後円墳との説もあります。
昭和61年(1986)に発掘調査が行われ、家康の本陣跡の建物や堀割が確認されましたが、古墳時代の土器等が発見されず従来からいわれてきた全長200mの前方後円墳という説には疑問符が付くことになりました。ただ、平安時代以前に築かれた盛土が古墳の築造時によく用いられた工法と類似するものであることが明らかにされ、河底池は周濠の痕跡とみられていました。また、四天王寺の別名「荒陵(あらはか)寺」も茶臼山古墳に由来し、境内にある長持形石棺の蓋も茶臼山に納められていたものと推測され古墳の可能性は残されています。小生は茶臼山の石棺(蓋)又上町台地の北側には難波京(なにはのみやこ)、南側には地学的に古墳があると推察してます(ワクワクする場所です)〈大阪訪問時には大阪城の前にある大阪歴史博物館に見学されることをお薦めします〉…連れが「一心寺」に寄りたいとの事で一心寺経由で茶臼山に向かいましたが途中空が真っ黒に急変、まさに真夏の夕立が来そうな空模様。急ぎ足で向かいましたが「ピカ、ゴロゴロ」最近外出時に会うのは珍しいなと思いながら”本当に雷は恐ろしいですね”…間もなく雨が激しく降りだし傘があっても二人はビシャビシャに打たれ「色男は辛いね」と言いながら、走って公園内にある大阪市立美術館(住友吉左衛門寄贈)のひさしに逃げ込みましたがなかなか雨がやみません、閉門時間も迫りあきらめて濡れながら天王寺駅へ****まる一日のぶら歩きでした

左側の茶臼山には和気橋からも渡れます(当日は虹がかかっていました) 天王寺公園から「あべのハルカス」を望む
  あべのハルカスの12F「千里しゃぶちん」は一人鍋しゃぶしゃぶの発祥地の支店値段も手頃です。本店は千里中央駅(大阪シティ)のB1
  • 大阪土産にはお薦め【釣鐘饅頭】
  • 四天王寺(西門)からの参道に「総本家釣鐘饅屋」〈創業明治三十三年〉があり立ち寄りました。釣鐘の形をしたカステラの中にあんこが入っていて大阪土産として古くから有名。今日は自分が食したくばら売りを買い明日のおやつにとウキウキです(実は当夜のスナックで皆に配って口に入ったのは1個だけでしたが美味しさに満足)
総本家釣鐘屋の店頭(天王寺区大道1丁目5-2)   HP https://tsuriganeya.jp/
2021年09月23日

梅田界隈ぶら歩き

新大阪駅から地下鉄で約6分、北の玄関口梅田駅(出口 )に到着、出口 から地上に出ると左にはJR大阪駅、右に阪急百貨 店が見えます。梅田界隈には商業ビルが立ち並んでいて、地下街や低層階は飲食業・物販店・上層階は事務所フロアが多いです。この辺りは小生のお客さんが多くよく歩いて いますが、新ビルの地下街がいつの間にか出来て少し間をあけると浦島太郎です。梅田の地下街にあるホワイト梅田の通りの奥には以前は待ち合わせ場所として有名な噴水広場がありましたが、現在はスライドになっていて周りにはお洒落な食事・バー等 華やかな気分になる場所になっています。JR大阪駅に北側には再開発で高層のビル群、よくお世話になる「ヨドバシカメラ」広場には花の展示場・冬には野外スケート場とかいろいろなも催し物があり、ぶら歩きは時間がアットいう間に過ぎますまずは 日本ではじめとの「歩く歩道」、阪急電鉄(梅田駅)が少し北側に移動したために阪急百貨店と阪急電鉄間の利用者の利便に

 

【ビール発祥地の碑】大阪の歓楽街「北新地」は大人の社交場として、有名な飲食店が集まった華やかな場所です。私の事務所は堂島川を挟んで対岸が北新地、たまに仕事が遅くなるとネオンが恋しくなり馴染みのお店に夜食をかねてお店を覘いたものですが、やはり一人では少し敷居(お値段も…)が高いですね。又経営者も大代わりが進んで馴染みの店が少なくなり寂しいですが仕方がないです。狙い目は昼食です、夜の半値以下のお店で美味しくて食して満足です。そんな北新地内に「ビールの発祥地」の碑があります。北新地は大阪メトロ:梅田駅(番出入口)、若しくはJR大阪駅(出口)から歩いてすぐです。

2021年10月20日

本町駅界隈ぶら歩き

坐摩神社は渡辺・渡部等の姓の発祥地です。元は渡辺の池(現在の天満橋の西方、石町附近)に神功皇后が奉祀されたとの諸説。現在地は天正10年(1582年)豊臣秀吉が大坂築城に当たり替地を命じられ、現在地にあります。大阪市の地名変更で久太郎町の地名ですが住所の表示看板には「渡辺」が記載されています。小生の勤務先が近場にあり度々食後の散歩に訪れていましたが、その様な知識は全然なくお詣りしていました。坐摩神社は大阪メトロ(出口)からすぐの道を左に曲がってすぐです(御堂筋から1本西側の道路沿い)淀屋橋駅から御堂筋を約7分位なので御堂筋のビル街を眺めながら歩いてもすぐです。本町界隈は繊維街として大手繊維メーカー・商店・商社関係が集まっていました。現在の名残は高速道路下に船場商店街があり繊維関係の販売店舗がつながっています、東西mと見て回るだけで時間がたちます。

2021年10月21日

淀屋橋界隈ぶら歩き

「淀屋橋」は、土佐堀川に架かる御堂筋(国道25号)の橋で、橋梁及び淀屋橋駅周辺のの地域名です。一般的には橋の架かる北区の中之島や中央区の北浜付近の地域を指しており、周辺は現在大阪の代表的なビジネス街・金融街(中心業務地区、CBD)が江戸時代から商都の中心として栄え、発祥地の跡が沢山あります。❝ぶら歩き"をはじめましょう。大阪メトロの淀屋橋駅下車(難波・天王寺方面に向かって後ろ側に乗る事をお薦め)です、6番出口から地上に出ると、そこは淀屋橋(よどやばし)の橋が架かっています。橋梁は大阪市北区中之島1丁目と中央区北浜3丁目を結び、国の重要文化財に指定されていて、土佐堀川沿いのすぐ側に居を構えていた江戸時代の豪商・淀屋の屋敷跡の碑があります。淀屋が米市の利便のために架橋したのが最初で、橋名もこれに由来します。当初米市は橋の南詰の路上で行われていた〈1697年(元禄10年)に堂島へ移る(堂島米市場の碑があります)

2021年10月25日

心ぶらの心斎橋

心斎橋駅を出ると、「大丸百貨店」前の筋が心斎橋筋です。「東の銀座、西の心斎橋」と称され平日でも心ぶらの人波が続きます。
心斎橋筋の商店街は世相をあらわすように、以前はカジュアルな女性服のお店が多かったですが、インバンド時には外国人観光客向けのドラッグストアがいたるところにOPEN、大げさではありません外国にいるようで日本語を聞くことが難しい状況でした。しかしコロナウイルスが蔓延した時期は、歩くことが難しい通りが閑散として目を疑いました。心斎橋筋は「食い倒れの大阪」を象徴するよう

豚まんで有名な「551」の蓬莱等難波駅までの間には数々の発祥地の飲食店がありますので食べ歩きにもお勧め

2021年11月03日

大阪府の概況

  • 大阪府は日本の近畿地方に位置し、府庁の所在地は大阪市。
    大阪府面積:約1905m²、総人口8,815万人第一の都市は大阪市
    第二の都市は堺市、33市9町1村の自治体。
  • 大阪の発展は淀川の御かげ(水上交通の要地) さかのぼれば、古代の難波宮、
    豊臣秀吉が築城の大阪城、江戸時代は天下の台所として日本各地から米・海産物・乾物物
    が堂島で陸揚 げされていました。大阪に来られたらまず大阪城の天守閣に上り、それから
    近くにある「大阪歴史博物館」に行かれることをお薦めです
  • 2025年には、大阪・関西万博が大阪市舞浜地区(埋立造成地)で開催されます。 
2021年12月01日

堺市

 概況

堺市(大阪府中南部にあり)は大阪府第2の都市で人口約84万の政令指定都市.

(古代)世界遺産の百舌鳥古墳群、(中世)中心街は環濠都市・貿易都市として栄えた歴史遺産
*戦国時代には、明貿易や南蛮貿易との交流拠点として発展、千利休の生誕地でもあります。

日本初の私鉄(阪堺電気軌道:路面電車)は現在も環濠都市内を東西に通っていて
与謝野晶子生家、千利休生誕地、南宗寺・妙國寺、伝統産業巡り等堺の歴史に接するには便利です。
堺泉北臨海工業地帯の工場夜景は萌えるスポットとして若者にも人気があります。
和菓子、堺刃物、織物、自転車など歴史・伝統産業の魅力あふれる堺の街です。

 

  • 堺市の思い出
    南海「堺駅」は、毎月の和歌山工場への出張に出向く時の通過駅です。大阪への帰宅時、闇夜の車外から見える堺泉北臨海工業地帯の明るさを見てもうすぐ大阪難波駅に着くなとの思い出だけでした。約50年前和歌山で宿泊した翌日、和歌山県と大阪府の県境にある「貝塚駅」で下車して水間鉄道で水間寺に行く予定が寝過ごして通り過ぎました・・・アーアーどうしよう堺駅でも降りて少し街でも探索するか…

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  • 街中は歴史を感じる寺院、和菓子店や商家が多く、着物姿のこいさん(三女)与謝野晶子がヒョコっと現れるのを期待しながらぶら歩き、少し歩くと広い道路に出ると車道の真ん中を「ちんちん電車」が走っていたので乗ってみました。小学生の時に乗った大阪市電、懐かしく感じながら子供のように車外をキョロキョロ覗いていました…、さてどこまで乗ろうかな、小さい時、父に海水浴で連れて行ってもらった最終駅の浜寺公園へと思案していましが・・・次は「御陵前駅」のアナウンスに駅名がいいなと思って飛び降りました。神社仏閣に少し興味があったので「南宗寺」に伺う事にしました。当日は寺院内でお茶会らしく着物姿のお嬢さん(いとさん・こいさん)方が大勢おられたので尻込みでした、そこにタクシーから母と同年代らしき女性が降りられたので「中に入ってもいいんですかね?」どうぞどうぞお入りください、ごゆっくり見学してください「是非中庭も見学して帰ってください」物腰も丁寧な方でしたので安心してご一緒に入っていきましたが、着物姿の女性が私達にお辞儀をして通り過ぎ、小声で「京都の…」お茶では著名な方なんだなと思いながら途中まで同伴して寺院内を歩きましたが別れ際「ごゆっくり見学して下さい」。話し方・仕草に上品な方だなー何事も卓越した人は何か違うなとの思いました。自分もそんな人間になりたいなと思った次第です。

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街中は確かに立派とは言えないが歴史を感じる和菓子店や商家が多く着物姿のお嬢さん、与謝野晶子がヒョコっと現れるのを期待して出会いを求めてぶら歩き、少し歩くと広い道路に出ると車道の真ん中を「ちんちん電車」が走っていたので乗ってみました。小学生の時に乗った大阪市市電、懐かしく感じながら子供のように車外をキョロキョロ覗いていました…、さてどこまで乗ろうかな、小さい時、父に海水浴で連れて行ってもらった最終駅の浜寺公園…思案していましが次回でも駅間が短く、「御陵前」駅名がいいなと思って飛び降り「南宗寺」へ当日はお茶会があって着物姿のお嬢さん方が大勢おられて入るのを尻込み、そこにタクシーを降りられた母と同年代らしき女性が降りられたので聞きました。「中に入っても良いですかね?」どうぞどうぞお入りください、ゆっくり見学してください」「是非中庭も見学して帰ってください」物腰も丁寧な方でしたので安心して入っていきましたが、通り過ぎる女性が皆さんお辞儀をして通り過ぎ「京都の…」小声で…著名な方だなと思いながら何事も卓越した人は何か違うなと、自分もそんな人間になりたいな、思った次第です。

 

アクセス

堺市へは南海電鉄・南海線(難波駅)~堺市(急行約10分)/高野線・~堺東駅約10分  
   JR阪和線(天王寺駅)~堺東(約8分)
●世界最大の墳墓である仁徳天皇陵古墳へは  
JR阪和線(天王寺駅から百舌鳥駅下車)、 南海高野線(難波駅)からは三国ヶ丘駅(下車)JR阪和線に乗換て百舌鳥駅で下車  
関西空港からはJR関空快速~(鳳駅乗換)JR阪和線・普通(百舌鳥駅)下車が便利です。
*三国ヶ丘駅から仁徳天皇陵拝所は古墳の周りを徒歩で約15分

 

自動車等のアクセツ、観光地めぐりの詳細は下記、堺観光コンベンション協会のホームページが役に立ちます。

 

 

古代

 

2019年7月に世界遺産に登録された「百舌鳥・古市古墳群」、海外でも「KOFUN」として知られています。
世界三大墳墓は、エジプトの「クフ王のピラミッド」中国の「秦の始皇帝陵」大阪府堺市にある「仁徳天皇陵」で敷地面積(121,380㎥)は世界一の広さです。

古墳文化の象徴的な存在が前方後円墳で、日本最大の天皇陵古墳「仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)」はJR阪和線「百舌鳥駅」で下車
すると仁徳天皇陵の拝所が近く、周辺には履中天皇陵・反正天皇陵等の古墳群が点在していると思うと胸踊る景観です。

日本最大の前方後円墳「仁徳天皇陵古墳(墳丘長486ⅿ)」の大きさを体感したく、又墳丘を囲む堤に最近円筒埴輪列が発見されたとのこと、当然現場を見るべしが叶いませんが思いを馳せながら三国ヶ丘駅から拝所に向かって”ぶら歩”、
堀のそばには民家が迫っていて都会の中の世界遺産です、歩道は整備されて歩きやすかったです。
拝所前のボランティアの方に前方後円墳は何故日本だけなのか?、上町台地の上にあるのに堀の水の供給源?、埴輪発見等々
質問しながら日本史の古代中央集権国家を復習でした。その後大仙公園にある堺市博物館、国の登録有形文化財の茶室「黄梅庵」
に立ち寄りました。

堺市提供 おおおお

*仁徳天皇陵の上からの景観は「堺市役所」の上階から見学(無料)をお薦めです。*拝所前にある「百舌鳥古墳群ビジターセンター(2021年開館)」で、古墳の予備知識を得てぶら歩きをお薦めします。 又古墳見学のお土産は、センター内のコーナーは品数が多くこの場所での購入をお勧めです。

中世~近代

昨夕は旧堺燈台(日本最古の木造洋式燈台)の内部を特別見学出来るとのことで、ホテルから堺旧港南波止までぶら歩きをしました
築造1877年(明治10年)高さが11.3ⅿの六角錘型(繁栄していた堺商人の富豪が出資)、コンクリートの燈台しか見たことがないもので木造洋式燈台は、冬の寒々しい海に暖かみがあり途中に「ルソン助左衛門像」がありました。

日本初の私鉄:阪堺鉄道(明治18年12月開業


市街中心部を東西に走っていて、環濠エリア都市・貿易都市の見学には
阪堺電車(チンチン電車)1日乗り放題の乗車券(堺おもてなしチケット)が非常に便利でした
。乗鉄でもある小生は市内各所をチンチン電車とぶら歩きで見て回ることにしました。
いつも時間があるようでないのが常で計画性がなくぶら歩きの性分
(左右をキョロキョロ見ながら面白いものがないか、まさに子供に戻ります)

 

 

南海電車(堺駅)前のホテルから阪堺電車の最寄駅「大小路」まで左右の景色を見ながら歩くと、
すぐに着いたのですが駅が信号を挟んで左右にあり電車が道路の真ん中を走っています、
さてどちら方面行きに乗るべーか?、とりあえず来た方の電車に乗ることにしました。
行先は「新今宮駅前」、5つ目の「高須神社」駅で下車し早朝の民家が密集した旧市街をぶら歩きしながら
堺市立町家歴史館清学院・鉄砲鍛冶屋敷」へ(鉄砲屋敷は保存修理中で残念ながら見れませんでした)、各所に道標があり観光客にやさしいなと感じました。一つ手前「綾乃町」駅の間をぶら歩きしながら「町屋歴史館山口家住宅」へ途中は道幅が狭く江戸時代の面影を多く残した建物を見かけ建築物愛好家にとっては最高の場所です。
街なかを歩きながら「妙国寺駅」前に、ナム「血の市場跡」の石碑、少し気味悪い石碑だな…気になり角のタバコ屋さんに「血の市場跡」の石碑に聞いたら、この場所に昔「朱肉」販売の店が集積していたとの事で市役所の人が石碑を建てたとの事でした(市も歴史の保全に頑張ってる)、四つ筋に歴史を感じる道標があり昔の人と時代をあわせて眺めました。少し歩くと大蘇鉄の伝説で有名な「妙國寺」へ平日の昼前で寺内は空いていましたので蘇鉄の写真を撮りました〈蘇鉄でエピソードの多いお寺です)付近はお寺が多いなとの印象でした。
「妙国寺前」駅に戻って道路の向かいに堺伝統産業会館へ、現在でも有名な堺刃物、線香、織物等堺の伝統産業お土産の購入場所としては種類が多くお薦めです。「妙国寺駅」から「宿院駅」をチンチン電車に乗って左右をキョロキョロ見ていたら直ぐに
「宿院駅」、駅そばに「さかい利晶の杜」堺の歴史文化を発信する立派な文化観光施設があり見学しました。その後千利休屋敷跡・与謝野晶子生家跡碑を見て堺山之口商店街で和菓子・線香の買い物予定でしたが、本業の企画打合せが大阪市内であり南宗寺方面には行けず『みだれ髪』ではなく「後ろ髪」で南海堺駅へぶら歩きでした。

*環濠都市:町民の代表である会合衆により周囲に堀を配し高度な自治を行っていた。
 (堺環濠都市遺跡は南北約3㎞、東西約1㎞に及ぶ広大な遺跡です)
*鉄砲伝来地は種子島ですが、鉄砲の製法が堺に伝わり江戸時代日本一の生産地、
*堺市立町屋歴史館山口家住宅〈江戸時代に建てられ日本最古級の元庄屋の自宅〉
*妙國寺:1562年日蓮宗の日珖上人が開山、堺事件で土佐藩士切腹
*阪堺電車:1日乗り放題の乗車券(堺おもてなしチケット)は700円、堺観光案内所等で販売

あとがき
宿泊は南海電鉄(南海本線)堺駅前の高層ホテル「アゴーラリージェンシー堺」、関西空港にも近く清潔感のある立派なホテルでした(朝食も美味しく満足!)。堺旧港沿いにある「ルソン助左衛門像」横で海を眺め港周りを散歩…大浜公園も近くにあり良いロケーションでした。
堺駅前ホーム下の自転車屋さん、日本有数の自転車製造の本場として広い売場に自転車が一杯でした。阪堺鉄道(チンチン電車)が旧市街中心部を東西に走っていて、環濠エリア・貿易都市の見学には非常に便利ですた。堺には「食の発祥」として、かん袋「くるみ餅」等が多いのですが残念ながら行けませんでしたので次回は食をメインにぶらぶらと堺市に降り立ちたいと思っています。北摂ニュータウンには知人が多く、町おこしに官民学・地元企業の連携が活発な地域で堺の新しい発祥が楽しみです。最後になりましたが宿院駅前の堺観光コンベンション協会に立ち寄りまっした、「堺のおもてなし」は字面だけでなく「ようこそ堺へ」が実感しました、歴史を少しですが見聞できて楽しい「ぶら歩き」でした。
  • 👌宿泊ホテルは 朝食が美味しそうかで選びます。
  • 👌両面染(印刷)の商品はお土産にお薦め(孫にハンカチを買いました)*堺にある竹野染工製造
2021年12月15日

カブトガニの博物館、笠岡ラーメン(笠岡市)

笠岡市(人口約45000人)は岡山の南西部にあり県境を超えた福山市(広島県)の経済圏で文化的にも密です。
瀬戸内海に面し、南には広大な笠岡湾干拓地と大小32の島々からなる笠岡諸島が広がっています。
新大阪駅から新幹線(のぞみ)で福山駅に行き山陽本線で岡山方面に戻るのが早いですね(約80分)。
笠岡駅に降り立ち、いざ世界で笠岡だけの「カブトガニ博物館」途中にある「笠岡市立竹喬美術館」〈小野竹喬:笠岡で生まれた近現代日本画家の代表者〉干潟に咲く「笠岡ベイファーム」へぶら歩きと思ったのですが、思っていたより当日は傘がさせない程風雨が強く、大小32の島々が広がる笠岡諸島で映画(瀬戸内少年野球団)のロケ地にもなった真鍋島へ渡る船旅も諦め(残念!)、市内をぶら歩きしました。笠岡市役所周辺は代官所跡に残る旧小田県庁門、現在は笠岡小学校(歴史が漂う門、在学生のみならず卒業生も大いに自慢出来ますね)近くには「遍照寺多宝塔」があり、周辺は元門前町らしくお寺も多く落ち着いた町でした。話は変わりますが、途中にトイレが見つからず小学校側の笠岡市役所に立ち寄りました。当日は日曜日で閉庁してましたが職員の方がおられて丁寧に案内して頂きました。対応に感謝です、チョットしたことですが"いい町″

     笠岡小学校周囲        笠岡小学校旧校門       遍照寺多宝塔
笠岡小学校旧校門
遍照寺多宝塔


笠岡の陸地部では縄文時代の「津雲貝塚」が西大島地区で見つかっており、原始時代からの人の居住が確認されている。また島しょ部では奈良時代の「大飛島洲の南遺跡」が見つかっている。天然の良質な港湾が中世より中国地方山間部との街道が整い物流が大いに栄え、戦国時代には陶山氏や村上水軍の所領。江戸時代には福山藩となりその文化的な影響が現在も受けているとのこと。

市域には丘陵地が多く平地が少ないため、大規模な笠岡湾干拓地事業で笠岡諸島の一番本土寄りであった神島までの笠岡湾を干拓、これにより広大な農業用地および工業地域が造成され、山側から見た海側は広大な平地です。
道の駅「笠岡ベイファーム」も笠岡湾開拓地にあり、近くの花畑では8月ひまわり、10月コスモス、3月~4月初旬菜の花、4月下旬からは、赤やピンクなど色鮮やかなポピーが約4ヘクタールの花畑に1000万本ほど咲き誇っている(5月下旬まで楽しめるという)知人より送付された写真を見てスケールの大きさに見応えがありますね。

小学生のころ、夏休みに兄弟で笠岡の叔父さん宅へ遊びに行ったことがあります、当時は蒸気機関車でした。トンネルを通過する度に黒い煙が世者なく客室に入ってくるので慌てて列車の窓を閉めて又トンネルから列車が出ると開けて、初めての経験は楽しかった思い出があります。しかし幼い頃の夏休み旅行、窓越しに田舎の風景を眺めて"えらく遠くまできたな"少しセンチメンタルな気持ちで笠岡に来た記憶があります。町の商店街を「ぶら歩き」しましたが残念ながら(当然ですが)昔の面影を思い出す事はありませんでした。

 

〚笠岡ラーメン〛

笠岡のご当地グルメ「笠岡ラーメン」。鶏ガラベースの醤油味のスープに、豚肉ではなく鶏肉のチャーシューがのった笠岡ならでは の味です、当然市内には多くの「ラーメン店」があります。
笠岡駅からJR山陽本線で近かばには、福山市の「福山ラーメン」 尾道市の「尾道ラーメン」があり観光地を訪ねながら「ご当地ラーメン」食べ歩きをお薦めです。
瀬戸内三大「ご当地ラーメン」ですね。

 

 

2022年04月19日

高校野球の発祥地

豊中市(大阪府北部、は人口約40万人)の豊中グランドが高校野球の発祥地。阪急電鉄梅田駅(宝塚本線)~豊中駅(急行停車、約11分乗車)、大阪モノレール(千里中央駅~阪急バス豊中駅行き約30分乗車)豊中駅からは徒歩約8分で発祥地のモニュメントがあります。ただ豊中グランドは今はなく碑のみで跡地は閑静な住宅地になっていて探し出すのに苦労しました。高校野球の優勝校でもあり、出場の常連校「履正社高校」は豊中市にあります。

高校野球発祥地の記念公園 豊中グランド跡地の碑 豊中駅の北側から西方向に徒歩

日本最初の野外博物館
日本最初の野外博物館

 日本民家集落博物館(にほんみんかしゅうらくはくぶつかん)は、豊中市の服部緑地内にある博物館
17〜19世紀に建築された岩手県から鹿児島県奄美大島までの民家11棟を服部緑地内に移設し、日本最初の野外博物館として昭和31年(1956年)に開館した。服部緑地は阪急電鉄(宝塚本線)曾根駅から徒歩約20分、大阪メトロ(御堂筋線)梅田駅から緑地公園駅迄約14分で駅から約徒歩5分です。